2019年2月26日火曜日

幸運は意外な形でやってくる

お客様が以前から
「いつかは・・・」と願っていたことが叶った。

いつかは、こうしたい。
それに向けていろいろ努力されていて
それが意外な形で実現しました。
ほんとうに良かったですね!



夢が叶うとか、実現するときって
意外な形で叶うことがとても多いんです。
だからプロセスも結果も、あまりガチガチに決めすぎないほうが
いいみたいですってお話です。

結婚するなら素敵な彼と運命的な出会いをして・・・
こんなデートをして、こんなプロポーズをされて・・・って
いろいろ理想がありますよね。

出会うなら
本屋で本棚の本を取ろうとしたら、偶然同じ本に手を伸ばした人と・・・、
とか

朝、遅刻しそうで慌てていたときに曲がり角でぶつかった人に、
その日のうちに何度も再会して・・・とか・・・?


















まあ、古い例えはさておいて

すっごい偶然の出会い、ドラマチックな出会いこそが運命の人って決めこんでいると
友達の紹介とか、飲み会などの出会いは、出会いにカウントされなくて
結果、出会いの可能性がものすごく低くなってしまうんですよ。

人がセッティングしたのはだめ、自然の出会いじゃないと意味がないって感じる方って
少なくないんですが
セッティングされたとしても、出会える人は限られるわけで
それもひとつの縁。


はじめからビビビって出会いもあれば
なんとなく~から始まる場合もあるんです。

第一印象から直感で!って場合もあるけど
はじめは乗り気じゃなかったけれど・・って場合も多くて
いろんな出会いがありますね。

それもこれも、動きがないと始まらない。
人に会わないと何も動きがないから
決め込みすぎないで、動きを持たせたほうがお得!






2019年2月22日金曜日

自分らしさが出てくるって?

ご家族で当方をご利用頂いているあるご家庭、
今回はお母様と息子さんでお越しになりました。

息子さんがお母様の性格や、価値観について
「子育て中の母は、真面目で堅物で、
自分たちのことを一生懸命してくれていて今とは全然違う(笑)
こんなに○○な人だとは、昔はまったく知りませんでした。」

と仰っていました。

人は、自分の変化より他人の変化に敏感で、
変化を受け入れがたく(無意識)
昔のイメージに当てはめてみやすいものです。

特に親子関係ではそういうことが多いのですが、
息子さん、お母様の変化をまるごと理解し、受け止めていて
素晴らしいなあ、なかなか出来ないことだよなあ、と思ったのです。



















年齢を重ねて変化している場合、
ほとんどの人が今の方が
持っている本質が強く出るように変化します。

若いときのほうが環境に左右されやすいし、合わせられる、無理できます。
年を重ねると、だんだん無理できなくなるっていうのもありますが
無理してまでも合わせなくても良いか、って自分らしさが出てくるんですね。
人から見たら、変わったって思うんですが、
ご本人にとっては自然な変化で楽になったって思うんです。


それから


関係性とか役割によって、変わったと感じられることがあります。

親子の関係は変わらないものの
以前は大人と子供の関係でしたが、
今は大人と大人の関係になった、というのもありますよね。

役割が変わると、相手の違う面がはじめて見えてくるものです。
反対に、役割が固定している関係は
いくら近い人でも一面しか見えないってことになるんです。
そういう意味では家族は一番近くて一番よくわかっている反面、
一番知らない相手、といえるんですよね。









2019年2月19日火曜日

たまたま、には意味があるのかないのか


手相って手のひらの線をみるのはもちろんのこと、
その他にも、手の形やつめや指の形状、
色や膨らみ、そのほかに様々な記号(サイン)もみます。


最近、手相の勉強を始めた生徒さん、
手のひらをよーく観ると、小さな赤い斑点が。
赤い斑点って、割合よく出るサインです。

斑点は、出た場所の意味を弱めるサインですから
親指の付け根部分に出ていたため
今、疲れていてスタミナに欠けている、
その割には遊びにエネルギーを使っている様子。

「ええー!たまたま赤くなってるだけじゃなくて?」

たまたまです。
しかし、そのたまたまに意味があるって考えるんですよ。

たまたまクリームを塗ったら、それが合わなかったみたいで赤くなった。
という場合だったら、クリームのせいで赤くなった、という事です。


なんか知らんけど、たまたま赤くなってる。
この場合には、手相の意味があるって考えます。


たまたま、指を挟んで血豆になったのでしたら

それが薬指なら、
配偶者とのトラブル、不幸、或いは人気の転落、地位の失墜に注意。
というサインです。
その血豆が消えるまでそういった事が起こりやすくなっているんです。
今そういう流れだから気をつけよう!ってことです。


















肉眼で見えるサインですから、わかりやすくないですか??

サインは、なんか知らんけど、たまたま、に意味があるんです。

2019年2月18日月曜日

忙しすぎる事と、暇すぎる事

とある場所へお参りに行ってきました。

お守りを購入しようとしている人が、支払いを
「ペイペイでお願いします」と言っていて

へ?ここで?

と思ったのですが、よく見たら
「ペイペイ使えます」と張り紙がしてありました。
キャッシュレスはそんなに進んでいるんですね。


さて


時間をどう使うかは、どう生きるかに通じます。

忙しすぎると心をなくす
暇すぎるとろくな事を考えない

と言いますが、
どちらも本当みたい。

忙しすぎても暇すぎても、元気がなくなるんですよね。
忙しすぎて元気がなくなるのはわかりやすいけれど
暇なら元気いっぱいになりそうなものですが
暇すぎて、元気!活力に満ちる!ことはないんですね。


















忙しすぎると、心身が疲労します。
やることをこなすのにいっぱいいっぱいで
そちらにエネルギーを全力投球することで
自分自身のエネルギーが枯渇します。

そこで休んでエネルギーを回復できたら良いのですが
休めない状態が続いてしまうと
枯渇している事も麻痺してしまって
何も感じなくなることがあるんですよね。
感じられるエネルギーが残っていないんです。

麻痺しているから、麻痺している事には気づかないんですが
その状態が続いてしまうと、自分が壊れてしまいます。


一方、暇すぎると退屈します。
時間を持て余すと気力をなくすんですよ。


よく「仕事をやめて暇になったら、家を徹底的にきれいに掃除する」
って思うじゃないですか。
でも、仕事を辞めて暇になっても
家が見違えるようにきれいになる事ってほぼないですよね。(笑)
暇でごろごろするか、他にやりたいことを見つけて暇していないか、
のどちらかじゃないですか?

ごろごろするほど、何かするのが面倒くさくなるものです。
何かをするには面倒くさいけれど、時間を持て余してつまらないって感じると

要らぬ心配事に没頭してしまうか
手っ取り早く簡単に、何かを得ることを考えるんですね。
人間ってそういう生き物みたいです。

しかし、すぐに簡単に充足感が得られることで、
自分にとって有益な事ってあまりないから

余計なことに手を出すことになりやすいのです。

忙しすぎず暇すぎず、ちょうどよいって状態は
自然に作り出されることは少ないから
ある程度意識してコントロールしていった方がいいようです。






2019年2月16日土曜日

ショックなときは、何も見えなくなるもの

あるお方、
健康のため、と思って病院で貰う薬の他に
サプリメントを熱心に飲んでいたそう。

あるとき、病院から「今飲んでいるのを、いったん全部やめて」と電話が。
血液検査の結果がとんでもない値が出ていたとのことで
受診時に
「何か飲みました?」と聞かれ
「これとこれのサプリを・・・」

明らかに飲みすぎだったのです。
その上薬との相乗効果で危険な事になっていたらしく

ドクターに激怒されたそう。
いつも優しい先生が、ものすごい顔で怒っていたらしく
あんな先生みたことない・・・と
たいへんショックを受けておられました。
もう病院やめようかな・・・
とも思ったようでした。

ショックな気持ちはわかります。
よかれと思ってやったのに。まさか怒られるなんて。

でも、緊急事態に笑っているほうが不信感をもちますよね。
だって命に関わるような緊急性なんですから。

怒ったのは、その先生が
とても真剣に患者と向き合っているからこそ、
患者の身体を良くしよう、と熱い気持ちがあるからこそ、だと思うんですよ。















ショックな気持ちの時には、
誰でも気持ちに引きずられた判断になります。
大事なことも見えなくなりがちです。
そういうときには大事な判断は先送りにしたほうが良いですね。

今回のことで言うと
病院を変わろうか、と思っていたようなんですが
やっぱり今の先生にこれからも診ていただくことにしたようです。

大事な判断は
時間をおくとか、誰かに話すなど
気持ちと頭を整理してから判断することで
自分にとって一番良い選択がみえてくると思います。



2019年2月11日月曜日

こだわりが強いことは幸せなのか




こだわりの強い、弱いって個人差がありますが
自分の中でこだわっているところは、価値を置いているところ。

ボールペンにこだわっているなら、自分の求める書き心地、デザイン性、触感など
納得できるものに出会うまで探し続けるのも楽しいし、
理想的なボールペンにであえたときの喜びも大きいものです。

こだわりは、価値をおいているわけで、
だからこそ、その人の喜びや幸せに結びつくところなんですよね。



ただ、こだわりが強いことで、なかなか喜びに出会えないこともあります。
手近なものでは納得できない。
だから探し続けるんですが、探しても探しても納得できないと
だんだん疲れてきます。
自分のこだわりに自分が振り回されてしまうんですよね。

こだわればこだわるほど、疲れる。いやになる。うまくいかない感じ。
全然納得できない。許せない・・・
という具合にストレスの元になる事も。





















「こだわりが強い」ことは、自分の価値観がはっきりしていて長所といえます。
そのこだわりを楽しまなければ
だんだんしんどいものになりやすい性質があるんですよ。
だから、こだわりは喜びの元にもなるし、自分を追い詰める元にもなるんですね。

だからといって、こだわりを捨てる必要は全くないと思うんです。
こだわりが強いからこそ、得られる幸せも沢山あると思います。


深刻モードにならないで
こだわる事にこだわるぞ!
徹底的にこだわろー!と
こだわる過程を楽しむのがいいように思います。

こだわりに振り回されるんじゃなくて、
自分がこだわりを使っている、という
主体性が大事みたいですよ。

2019年2月5日火曜日

今しか出来ないことをやろう

今日はNHK豊橋教室の日。
講座内容は、ちょうど一年前にやった事と同じ内容だったらしく。

先週、講座内容について、やったことあるか確認した時は
全員「 ない!」  との返事だったのですよ〜。
みんな、初めて聞く話のような顔で受講されていて
講座終わりに あれ?と、去年やった事に気づいたわけですが

新鮮な気持ちで勉強できたなら、良かったです。
一度読んだ本を、後日また読んだ時に似ているのかな。
再び読み返すと、前と違う感じ方や、以前と違った気づきがあるように
繰り返すことで、新たな境地に達するものかもしれません。















話は変わって

盛運もあれば衰運もあるのが人生。
なんだかスイスイと物事がうまく運ぶときもあれば、
頑張ってもうまくいかない時もあります。
思いもよらないアクシデントに見舞われることもあります。


もう、どうしたらいいのかわからない・・・

そういう時にこそ、真剣に自分の人生を考えるのです。
問題に向き合う、自分の事に取り組む。
これは、衰運にしかできない事ですから
そう思うと衰運もあながち悪いばかりではありません。

あとから振り返れば
「あの出来事があったから今がある」
そういう話、よく聞きませんか?


うまくいかない問題に向き合っているときは、
「あながち悪くないよね」とは、とても思えません。

でも、後に「あの出来事があったから今がある」
と思えるようにするには
今何をすれば良いんだろう。って考えてみるのも
衰運を充実させることにつながります。