SAKAGUCHI BUNSAI *文彩日記*
2025年3月1日土曜日
想像力を味方に
2025年2月21日金曜日
運の好転
2025年2月16日日曜日
人相は変わります
人相の良し悪しと美醜は関係なくて、形が整っていても良くない相はあります。
その反対に、形があまり整っていなくても良い相もあります。
写真一枚で判断するのが難しいのは
写真映りで実際とはかけ離れていたり、加工されていたりして原型とは別物の場合があるから。
鑑定に誰かの写真をお持ちいただく際には
写りが鮮明で
飛び切り写りの良い写真より、なるべくいつも通りなものを選ぶとはっきり判断出来ます。
少しでも人相を観ようと思う人は、
好みに心奪われるときは、人相としての判断は誤りやすいと覚えておきましょう。
好きなタイプだと良く思って、嫌いなタイプだと悪く思う。
単純なようだけど、多くの人はほぼこうなります笑
とても美しいけど、人相としては?な人は
例えば
もと政治家の女性、ジャーナリストで映像作家さんなどが居ます。
人相は運と共に変化します。
2025年2月14日金曜日
まるで別人みたいに変身
数年ぶりに会った人が、まるで別人のようだった。いい意味で。
いきいきと輝いている姿が印象的で、
本来の自分を取り戻すような変化の積み重ねが起こったのかな。
人間、別人にはならないけど、別人級の変化というのはありますね。
人がそれくらい変身するのは、大きな環境の変化と大きな内面の変化の両方が重なった時に
外から見ても別人級の変化となるようです。
「生きにくいです」というのは昔はなんとなく言いにくい雰囲気だったけど
割とそう思って生きている人がいることがわかってきたから、今はオープンに言う人も増えました。
生きにくさの要因は人によって様々だけど、運命学の観点からみると
「本来の自分がぜんぜん発揮できていないとき」
「本来の自分とはぜんぜん違う生き方をしているとき」
このような時に、生きにくさを感じることがとっても多いです。
与えられた環境が誰しも合うとは限らなくて、なんとなく窮屈でいつも無理してる。と感じることもあるけど、多くは
無理していることにも気付かないけど、なんかおかしい。生きにくい。と思います。
そういう人は、自分に合う環境を手に入れると水を得た魚のように
生き生きとしていきます。
2025年2月9日日曜日
自分の為になる決断は
さっき天気予報を開いたら、実際温度2°、体感温度−2°と書かれていました。
いつの間にか親切に、実際と体感の温度を教えてくれるんですね。温度に限らず、実際と体感には、大抵ずれがありますね。
『2025年は自分の為になる事を意識したい』のブログ内容、
2025年2月2日日曜日
人から影響受けやすいなら
今日は雨が降ったり止んだりの冷たい1日でした。
空気の乾燥で喉や顔も乾燥しっぱなしですが、雨が降ると少し違いますね。
人と会った帰り道、
元気いっぱいで帰る事もあれば
ドッと疲れて足取り重く帰路に着いた経験、ありますよね。
この人といると自然体でいられるなー。とか
あの人に会うとなんかモヤっとした後味に。
という経験も。
その人の事が好とか苦手とかいう事じゃないんだけど、
不思議と感じるこれは何?
自分の体調やその場の環境の影響もあるけど
それ以外には、その人から受ける影響が大きいです。
感情は共鳴するから、
気持ちが安定した人といると、自然と落ち着いた気持ちになります。
鬱憤が溜まっている人といると、重たい気分になります。
これらは話の内容とは関係なくて、感情の共鳴によって感じているから、共鳴と知らずにいると
『いったい何だろう?』と不思議に思うんです。
自分の中から湧き上がってくる感情もあれば、外から伝達されたものもあります。
『あれ?』『何か変だな』と思った時は
これは誰の感情?と自分に問いかけてみると
外からの伝達に境界線が引きやすくなります。
どんな感情を共鳴するかは、ある程度自分で選んでいけますよ。
2025年1月30日木曜日
ぜんぜん当たらない人
世の中にあふれる情報は玉石混淆。
どの情報を信頼すれば良いのかは難しくて、
調べれば調べるほどわからなくなることもあるし
反対にろくに調べもしないで、見たもの全てを信じたり
何が何だかわからないですね!(笑)
自分が信じたいものを信じるのが1番ですね。
そうは言っても多くの人にとって「これは信じるに値しないだろう」というのはあります。
でも、信じる人はいます。
自信満々に周囲に説明したり押しつけたりして
そういう人には、注意したり反対意見を言う人はいないから
というより言っても聞く耳なくて言う人がいなくなるから
ますますおかしな自説を思い込んでいってしまうのだけど。
いずれ、それがぜんぜん違った、的外れであったことがわかって一瞬ショックを受けます。
でもまた次に的外れな情報を信頼して・・・を繰り返すのは何故?
いつも自説が当たった試しがないのに、そういう人ほど自信満々になるのは何故?
という疑問について
賢い人の中にもそういう人がいるから、知性の問題ではないです。
気持ちの問題で、気持ちのベクトルの向かい方が自分に向かいすぎている。
自分に囚われすぎているから視野が狭くなっているみたい。
自分が凄いと思いたい、思われたい。
すごいと人に思われる事で、自分でもそう思えます。
凄いと思いたいと言う事はその逆の囚われがあることを意味していて
劣等感をどこかで見返したいなどの自分への気持ちが向かいすぎているから
外の出来事がなかなか客観的に見えにくいです。
じゃあ、それは自分軸で良いのでは?と思いきや
凄いと思われたいというのは他人軸であるから、周囲に自説を説かずにいられないわけで
自分にベクトルが向かい過ぎているのに、周り(情報)に振り回されるという矛盾が繰り返されるようです。
得たいのは人が自分を凄い思うこと、すなわち良い気分を得たいから
正しい情報を求めているわけでなくて
当たるか当たらないかが問題ではないから、いつも当たらなくてもそこは別にいい。
そう理解すると納得いくのでは、と思います。