
丙午(ひのえうま)の年に生まれた女性は
気性が強く、夫を食い殺す。
この、なんとも恐ろしい迷信は
中国明時代に生まれ、
江戸時代以降に日本でも多くの人に
信じられるようになった。
でも、同じ年生まれの人が皆同じわけがないので
ただただ恐れるんじゃなく
自分の頭で考えることが必要デス。
「何年生まれの人と相性がいいか」
というのも同じデス。
迷信でも情報でも
自分の頭で考えなければ
活かすことが出来ないネ。
何かを選ぶとき。
心に迷いが生じたり、
なかなか判断がつかないこともある。
選択が困難なのは、
「何かを選ぶ事は、同時に何かを諦めること」だから
どちらも諦めたくないと思うほど、
選択するのが難しくなる。
何かを手に入れることは
何かを失うことでもある。
ラーメンとパスタは同時に食べられない。
のに、同時に食べようとするから
結局何を食べても
不満足になる。
人が食べているものを
美味しそうだと羨んでしまう。
捨てることが出来なければ
何も手に入れられないのだから
何かを選ぶことは
潔さが必要なコト。
自分の事を占うのは
果たして怖い事なのか?
いろんな考え方があるだろうけど
易者の立場から言えば
何事も早期発見が重要では…と。
禍いもトラブルも
大きくなる前に対処すればそれを防ぎ
運を切り拓くことができるのだから。
同じ生年月日の人が
皆、同じ人生を歩むわけではないのです。
実際、私は同じ生年月日時の人と
会ったことがある。
過去からその時まで、全く違う人生を生きていた。
自分で環境を創っていく
勇気を失わなければ
自分にふさわしい道を切り拓いていけるのだ。
ずっと昔
「優しさって一体何なのですか??」
と聞かれたことがある。
真剣に考えた。
その日から
優しさと甘さをはき違えないようにと
意識している。
私たちは
自分にとって都合良くして貰えると
相手を優しいと思うところがあるようで、
優しさと甘さの区別が曖昧になるうちに
人の好意をアテにし、
甘えを正当化していくようになってしまう。
思いやりや情などは
肉眼の世界ではなく
心眼で感じる性質を持つのだから
何をしたかより
どんな想いなのか
と相手を感じる想像力に欠けていたら
真心を受け取ることは出来ないモノなのだ。
書は心と言うけれど、まさにその通りだと思う。
心に落ち着きがなければ
何枚書いても落ち着きのなさが如実に表れる。
書道の先生が文字の「折れ」について言われたこと。
「いったん溜めて、よし、いいなと思ったら
次に筆を運びましょう。
人生と同じですよ。」と。
人生の曲がり角も
衝動的に次に進んでもうまくいかない
力を貯え先を見越すのだ。と
書道から学ぶ。
整った文字より、味のある文字に魅かれるナー。
明後日は節分。
もとは、
立春、立夏、立秋、立冬の前日を
節分といいますが
立春正月思想から
一年の始まりを立春とし
その日を年の境目とする為
立春の前日の節分だけが特別になりました。
ということで
2月4日の立春から己丑年になります。
己は、象形文字で
直角に曲がった定規に似た器の形。
定規や糸巻きに使う器を意味し
丑は、手の指に強く力を入れて曲げ
強くものを執る象形文字。
従って
己丑年は
紀律を正すか、流されるままか
実行するのか、何もしないのか
結ぶのか、散らかすのか…
等が分かれる時と言えます。
サテ、あなたの己丑年は?
今日もお客様から
うれしいご報告を頂いた。
幸せを掴むには
主体的に生きることがとても大切。
そして
運の停滞期にどう過ごすのかで
次の幸運期に乗れるかどうかが
分かれるもの。
うまくいかないときは
不平不満を口にしたくなる事がある。
だけど、愚痴っているうちに
怒りや不満が増大して
不運体質にドップリ…なんてことがよくある。
どんな時でも
決してくさらないこと、
ひねくれないことが大事だね。