2025年1月30日木曜日

ぜんぜん当たらない人

世の中にあふれる情報は玉石混淆。

どの情報を信頼すれば良いのかは難しくて、

調べれば調べるほどわからなくなることもあるし

反対にろくに調べもしないで、見たもの全てを信じたり

何が何だかわからないですね!(笑)



自分が信じたいものを信じるのが1番ですね。

そうは言っても多くの人にとって「これは信じるに値しないだろう」というのはあります。

でも、信じる人はいます。

自信満々に周囲に説明したり押しつけたりして

そういう人には、注意したり反対意見を言う人はいないから

というより言っても聞く耳なくて言う人がいなくなるから

ますますおかしな自説を思い込んでいってしまうのだけど。


いずれ、それがぜんぜん違った、的外れであったことがわかって一瞬ショックを受けます。

でもまた次に的外れな情報を信頼して・・・を繰り返すのは何故?

いつも自説が当たった試しがないのに、そういう人ほど自信満々になるのは何故?


という疑問について










賢い人の中にもそういう人がいるから、知性の問題ではないです。

気持ちの問題で、気持ちのベクトルの向かい方が自分に向かいすぎている。

自分に囚われすぎているから視野が狭くなっているみたい。

自分が凄いと思いたい、思われたい。

すごいと人に思われる事で、自分でもそう思えます。

凄いと思いたいと言う事はその逆の囚われがあることを意味していて

劣等感をどこかで見返したいなどの自分への気持ちが向かいすぎているから

外の出来事がなかなか客観的に見えにくいです。

じゃあ、それは自分軸で良いのでは?と思いきや

凄いと思われたいというのは他人軸であるから、周囲に自説を説かずにいられないわけで

自分にベクトルが向かい過ぎているのに、周り(情報)に振り回されるという矛盾が繰り返されるようです。

得たいのは人が自分を凄い思うこと、すなわち良い気分を得たいから

正しい情報を求めているわけでなくて

当たるか当たらないかが問題ではないから、いつも当たらなくてもそこは別にいい。

そう理解すると納得いくのでは、と思います。