電子レンジで紙物を使うときには
専用の物でないと危ないと思っていたんですが、
「茶封筒に入れてレンジにいれる」と聞いて
茶封筒?!
火花が散らないんですね。衝撃!!
割と皆さんやってるんでしょうか~?
さて
物事がうまくいかないとき、しんどく感じているときは
「なんで、私ばっかり?」
「不公平」
みたいな気持ちになりやすいです。
そんなときにハッピーな人の話を聞いてしまったら
自分だけが取り残されたような不安とか
悲しさを感じるかもしれません。
それが続くと、
ちょっとしたいいことが起こっても
「こんな事くらい・・・」
「すごいことでないと意味ない」
といいことを粗雑に扱っていってしまうんです。
いいことを受け取れないので
良くないことばかりが起こるように
なってしまうんですよ。
「私ばっかり・・・」と意識が自分のほうにのみ向いていると
受け取る物(幸運)はなくなって、襲ってくる(災難)ものが
圧倒的に多くなるんですね。
じゃーどうしたら・・?
誰かの嬉しい話しを
一緒に喜んでみるのがおすすめ。
意識が自分に向かっているときは、
誰かの話を聞くことは、自分と比較して
落ち込んだり安心したりするものですが
意識を相手に向けて「よかったね!」の視点を持つと
「私ばっかり・・」の連鎖が解けていきます。
2014年11月28日金曜日
2014年11月21日金曜日
2014年11月17日月曜日
内面の変化が外に表れる
この前、美容医療のプロの方から
興味深い事をお聞きしました。
年を重ねると顔のお肉が削いできますよね。
疲れるとげっそりしたり、顔に陰が生まれやすくなります。
それがお肉だけじゃなくて、骨も小さくなるのだとか。
体の骨格もだんだん小さくなるのだから
お顔も同じなんですね。
人相学では
頬骨は意志や主張の強弱を表します。
それが高いということは
自分の考えがあるということ。
周囲にそれを押しつけるような主張の強さを表します。
人の意見を聞かず妥協しないので、衝突しやすくもあります。
高さが低くなってくると
協調性を意味します。
ですから、以前に比べて
頬骨の張り出しがだんだん低くなってきたとしたら、
周りとの折り合いがうまくつけられるようになってきた
のでしょう~。
興味深い事をお聞きしました。
年を重ねると顔のお肉が削いできますよね。
疲れるとげっそりしたり、顔に陰が生まれやすくなります。
それがお肉だけじゃなくて、骨も小さくなるのだとか。
体の骨格もだんだん小さくなるのだから
お顔も同じなんですね。
人相学では
頬骨は意志や主張の強弱を表します。
それが高いということは
自分の考えがあるということ。
周囲にそれを押しつけるような主張の強さを表します。
人の意見を聞かず妥協しないので、衝突しやすくもあります。
高さが低くなってくると
協調性を意味します。
ですから、以前に比べて
頬骨の張り出しがだんだん低くなってきたとしたら、
周りとの折り合いがうまくつけられるようになってきた
のでしょう~。
2014年11月12日水曜日
とても良い話が聞けました
私が尊敬しているお方。
いつも穏やかな明るいオーラを感じるのですが
何気ない会話の中で、こんな事をおっしゃっていました。
「にこにこ顔にはにこにこ顔が帰ってくるよ。
ぷんぷん顔にはぷんぷん顔がかえってくるよ。」
娘さんが幼いとき、そんなふうに教育をされていたそう。
人間関係の輪はそんなふうに広がるんだよと。
誰も気にとめず、会話が進んでいきましたが
わたし、心の中で「わ!名言!」と思いました。
あの穏やかで明るいオーラは
こういう気持ちからきているんですね。
いつも穏やかな明るいオーラを感じるのですが
何気ない会話の中で、こんな事をおっしゃっていました。
「にこにこ顔にはにこにこ顔が帰ってくるよ。
ぷんぷん顔にはぷんぷん顔がかえってくるよ。」
娘さんが幼いとき、そんなふうに教育をされていたそう。
人間関係の輪はそんなふうに広がるんだよと。
誰も気にとめず、会話が進んでいきましたが
わたし、心の中で「わ!名言!」と思いました。
あの穏やかで明るいオーラは
こういう気持ちからきているんですね。
2014年11月10日月曜日
頑張っているのにうまくいかない?
罪悪感とは、悪いことをしたと思う気持ちのこと。
何かがあって、そのことを
「悪かったなあ」と思うこともあれば
何もなくても、常にどこかで
「自分が悪い」「自分のせいだ」と
感じ続けている場合もあります。
機嫌の悪い人がいると
「自分が怒らせたのでは」と感じたり
疲れた人を見て
「自分が負担をかけているから」と感じるなど、
良くないことは全て「自分のせい」と感じてしまう事もあるんですね。
そうすると、
あらゆる場面で、役立つ人間になるようにと頑張ったり
みんなが嫌がる役目をすべて引き受けようと頑張ったり
自分自身を酷使してしまうんです。
これらは補償行為と呼ばれるものです。
補償行為とは、何かを埋めようとする行為のことで
罪悪感の埋め合わせとして、申し訳ないから自分を酷使して
埋め合わせをすることがあるんです。
補償行為から何かをして喜ばれたとしても
あまり嬉しくないんですね。
やりたくてやっているのではなくて、埋め合わせが目的ですから
埋め合わせを出来た安堵感はあっても
喜ばれて自分も嬉しい!といった感覚は得られないんです。
頑張っているのに達成感がいつもないとか
得られる物が少ない、なんか損している、なんかへん、
と感じるときは
やりたいからやっている?
補償行為?
と自分自身に問いかけてみてくださいね。
2014年11月9日日曜日
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